活動記録・ギャラリー    Activities・Gallery

安土町長選挙戦の記録

告示 2009年9月29日 〜 投票 10月4日 〜 初登庁 10月05日

2009年08月23日 津村(前)町長解職
2009年09月14日 大林候補 立候補表明
2009年09月18日 津村(前)町長 立候補断念
2009年09月19日 木野(元)教育長 立候補表明

2009年09月29日 告示日
2009年09月30日
2009年10月01日
2009年10月02日
2009年10月03日 選挙戦最終日
2009年10月04日 投票日
2009年10月05日 初登庁



はじめに

 住民団体が実施した、近江八幡市との合併の賛否に係わる自主アンケート結果の受け取りを拒み、住民投票を求める署名に基づく住民投票条例案に「必要なし」との意見を付して議会で否決。頑ななまでに住民の意志を聞くことを拒否して合併を進めた津村(前)町長は、有権者の4割を超える解職署名を突きつけられ、2009年8月23日に解職投票を受けて失職した。しかしその間に、町長自らの手による全国版の醜聞にもなった妨害行為や、県からの入れ知恵による引き延ばし策の結果、近江八幡市との合併は町議会での議決、県議会での議決を経て、総務省の告示まで進められてしまった。

 津村(前)町長は、失職後も「合併を進められるのは自分しか居ない」と出直し町長選への再出馬に意欲を見せていたが、町長選告示10日前にあたる9月18日に立候補断念を表明、翌19日に、現職教育長の木野和也氏が職を辞し、合併推進政策継承を掲げて立候補することを発表した。

 一方、住民団体「急ぐな合併・守ろう安土 みんなの会」は住民運動を率いてきた大林宏代表を町長候補者に擁立。町長選は、実質的に合併賛否を問う形の一騎打ちとなった。

 拙文は、大林宏候補陣営のスタッフとして、はじめての経験となった選挙戦を、一個人の目線で記録した物である。



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2009年 9月29日 火曜日 安土町長選挙告示

9:00〜 出発式 天候は曇

 主催者発表120人。動員をかけたわけでも無いのにけっこうな人数が集まった。


 水色Tシャツ姿が目立つ。スタッフだけではない。年配の男性議員さん方が着てくれたのが引き金になってくれたか。みなさんカンパ込み、¥2000を出して購入して着てくれているのである。日頃、Tシャツなんぞ着ない世代が多いので、お世辞にも似合っているとは言い難い人が多いが、その意気込みには感謝感動である。



水色のTシャツ姿が目立つ



詰めかけた報道陣

 既にスタッフが選挙管理委員会に出向き、必要な手続きを行い、選挙グッズの配布を受けている。グッズの中には選挙心得ポスターのようなものまである。選挙期間中に、して良いこと、良くないこと、漠然とは知っていたが、公職選挙法がこんなにややこしい内容だとは。

 

 挨拶に立った白木副代表から「最初の吉報をお知らせします」ということで、くじ引きは二回とも(最初はくじを引く順番を決めるくじ、次は公式ポスター掲示板の、貼る位置を決めるくじ)1番だったことを紹介頂いた。


 応援弁士は二人は一般の方。一人目は大林候補の先輩にあたる山本氏。役場では大林候補と机を並べて仕事をした方で、年齢は自分の方が上だが仕事面では大林候補が先輩だと紹介。応援弁士二人目は村田女史。



 井上議員が青森県議会議員の古村さんからのメッセージを紹介。シメは大林候補の挨拶。



 大林候補、演説は得意な方ではなかった。決起集会(9/26)の挨拶でも伏せ目がちに原稿を読む感じで、あまり顔を上げなかったのが気になっていたのだが、

 # 過日、その旨指摘すると、
 # 「それはわかっとる。」と。
 # 「顔を上げたいのだが、聴衆は、皆、演者である自分を
 #  見つめているから目が合ってしまう。目が合うと感情が
 #  こみ上げてきて、声につまって、うまく話せなくなる。
 #  困ったもんやわい。」とのこと

この日は違った。


 堂々のスピーチ。諸連絡と「ガンバロー三唱」の後、大林候補は街宣カーに乗って出発。最初のウグイス嬢は、選挙に慣れた井上議員。なにしろ大林候補は選挙戦初体験なので、4人の合併反対派議員がフルサポートである。


 こちらの街宣カーが出発して数分後、甲高く早口で話すもう一台の街宣カーが事務所の前を通り過ぎた。こちら陣営にも手を振り、「お互い頑張りましょう」と挨拶いただく。後日、プロのアナウンサーらしいことを知った。車両もレンタカーだ。こちらはカンパだけが頼み。資金力では、不動産業者や個人経営者らが支持者に名を連ねる対抗陣営と天地の差がある。


 事務所に残ってくださった方々に マニフェストビラへの証紙貼り付けをお願いしていたのだが、肝心のビラが見つからず、右往左往。結局、まだ印刷屋さんに置いてあることが解り、大あわてで取りに行った。法律上、候補者自身が出せるビラは全部で5000枚。内容は、連夜、大林候補とスタッフが練りに練った、大林候補のマニフェストである。20人ほどが並んで座り黙々と人海戦術で証紙を貼り、貼り上がった順に、手捲き係がビラの束を抱えて、担当地区に配布しに行く。平行して、今夜から始まる個人演説会の準備。

 初日のこの日は個人演説会を三カ所で実施。東老蘇、西老蘇と内野地区である。東老蘇は地元、内野は安土町内でも最も合併反対運動が盛んな地区。合併推進派議員の影響力が強いため比較的受任者が少なく心配していた西老蘇でも、そこそこの方が集まってくださった。演説会終了後、玄関で出席者と握手するのが通例だが、大林候補は、皆と一緒に座布団を片づけだしたとのこと。お人柄である。


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2009年 9月30日 水曜日 天気は雨

 駅でビラまきの予定であったが、雨にて中止。6時15分頃に駅に家族を送っていくと、通り道にある対立候補事務所では緑ジャケット姿の数人が軽ワゴンに道具類を積み込んでいる。彼らは6時20分頃に駅前に到着し店開きを始めた。ビラまき中止は不味かったかな?

 みんなの会が、大林氏の立候補予定を発表した翌々日。みんなの会、合併反対派議員、大林候補を批判した無記名のビラが郵便ポストや新聞受けに投げ込まれた。いわゆる怪文書である。タイトルは「私は大林 宏代表にだまされました」内容は、あまりに稚拙かつ虚偽のスキャンダル。発行者は「いち主婦」。元々はみんなの会の支持者だったが、みんなの会発行のビラに名前を無断で使われたことをきっかけに運動から離れたと語っておられる。みんなの会の名義で発行されたビラに実名が掲載された女性は一人しかいない。今現在も街宣カーで声をからしている井上佐由利議員である。他にも、会の内情を暴いたつもりなら、もう少しマシな話を作れよ、と云いたくなる部分が多数ある。毎度ワンパターンの共産党と合併反対派の町議会議員の批判。挙げ句の果てには、みんなの会を支持してくれている開業医の先生方まで攻撃する始末である。複数の(女性を含む)方々は「これは女性が書いた文章ではない」と断じた。私も同感である。安土町の合併に関する論説をネット上で丹念に探して読んでいただければ、この怪文書と同じモチーフを見つけることができるだろう。

 

大林ひろし候補出馬公表の数日後に撒かれた「怪文書」
 当方は、大林候補の公約を記載した法定チラシの他に、「みんなの会」として選挙期間中は毎日チラシを発行する手筈を整えている。

 先の怪文書以外には、相手方発行のチラシは入ってこない。政策情報らしきものも新聞報道のみである。前津村町長の後援会から出ないのはもちろんとしても、「合併推進派6議員」「安土の未来を創る会」」も、津村町長前解職の暫く後で1通出たっきり(内容は、安土町内で「あかこんバス」を試験運転するというもの。何故、一般には公開されていない経路や本数を、ここまで詳しく書けるのか? 一方でプラン自体は近江八幡から提示され費用は安土持ちである事などには触れられていない。)沈黙している。「創る会」のビラは、内容は別にして、体裁良く、キーワードを上手く選んで読みやすい。プロが書いている感じである。でなければ、かなりセンスのある人物だと思う。前津村町長関係者が発行するビラも、なかなか、まとまった体裁である。前町長は、初当選当時にはホームページ作ったり、メールマガジンを発行したりしていたので、ひょっとして自分自身で?と思っていたが、総務省へのヒアリングで、本人が書いていたわけではない、ということが解った。雇われ弁護士の作で、原稿料が続かなくなったのが出馬断念の理由だ、との風聞も後日、耳にした。少なくとも背後に町外からの入れ知恵役や指南役が存在するのは確かなようだ。

 

「安土の未来を創る会」 2009年9月15日発行 のチラシ
 津村(前)町長もメンバーの一人である「安土塾」は、ビラの発行こそしていないが、「安土の名前を復活させる運動」インターネット署名を始めたようだ。木野候補も同運動を進めると語っている。しかしだ、そもそも、今回の合併は近江八幡市の冨士谷市長が「名前が近江八幡でなくなるなら、合併は無い」と公言した上で取り組まれた訳であり、彼等はそれを承知で合併話に乗ったのである。「安土」が自治体名から消えることを前提に進められた合併の片棒を担いだ連中が、一体今頃何を騒ぎ出したのか、というのが率直な感想である。


夜の部

 宮津と石寺で個人演説会。私は石寺会場の司会担当。出席者30人程度、朝日新聞社の取材有り。19時半開始、20時半終了予定だったが、開始時刻が5分遅れ、終了はさらに遅れて21時になった。ひとえに司会の下手さが原因であります。地元弁士に続き藤井議員の議会報告、最後に大林候補登場。


 大林候補のスピーチはプレゼン資料のパネルがあった方が自然体で活き活きする。安土財政の健全性を示す起債残高推移のグラフと、過去の合併推進派が町民の不安を煽るために行った財政シミュレーションが大ハズレであることを説明する特大グラフパネルは、大林候補の手書きである。例の怪文書をネタにして「大林にだまされた、というビラがあったが、騙したのは前町長と行政、彼等に騙されたのは、みなさんだ」とブラックなジョークも出る余裕。


夜のミーティングで活動報告

 昼間 昨日も今日も、6台の電話には全て人が張り付き 電話作戦 は盛況。
常楽寺で選挙ポスターが破られていたのが発見され、写真を添えて警察に届けた。




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2009年 10月 1日 木曜日 晴→曇

 郵便ポストに相手候補発行の法定チラシがようやく入った。一枚ごとに証紙が貼ってあるヤツである。
 背景に使われている「西の湖の写真」が、津村町長解職の際の、解職反対側ポスター解職反対依頼ハガキに使われた物と同じだ。「津村(前)町長の後継ではなく中立、ただし合併などの政策は継承する」というのが新聞などで報じられた出馬表明時の弁だったのだが。

 

きの和也候補の法定チラシ
きの和也の3つの信念
 ・自治体名に「安土」を復活させる運動を応援
 ・町民の思いを大切に町作りに関する町民アンケートを実施、
  結果は新市の総合(発展)計画に反映させる。
 ・町の貯金は安土のために
  「20億円あるとも言われている」基金・積立金を安土の町作りに役立てる。
新市にむけた調整に町民の心をひとつにして「オール安土」で取り組むのだそうである。

 自治体名復活は安土塾の受け売りに過ぎない。「町民の思いを大切に」思うのなら、まず合併賛否の住民投票だろう。合併ありきの町作りアンケートなど願い下げだ。「町の貯金は安土のために」こちらの政策の丸写しである。解職投票運動の際に、20億円を近江八幡への持参金か?と書いたのは当方のビラだが、それに対して津村(前)町長名義のチラシで猛烈に感情的な反論が返ってきた所をみると図星だったのではないかと思う。それにしても、「20億円あるとも言われている」という伝聞調の書き方からは、先日まで行政執行側にいた立場にもかかわらず財政が全く読めていないことを自ら宣言しているようなものではないか。

本文では、
   子どもたちが大きくなった時に、
   「私は安土の出身です」
   と胸をはって言えるような安土にしたい。
と、ある。なるほど、貴方がたは、今の安土が胸をはって言える出身地ではないと認識しているわけですね。この点は、合併推進/反対間にある多くの行き違いの源の一つかもしれない。


 今日も駅前でビラ配り。朝、相手陣営が来る前に場所取りを、と少し早めに6時に陣取る。しばらくすると水色Tシャツ姿が集まってきた。次に現れたのは「赤い羽共同募金」通路の対面に陣取る。そのうちに緑ジャケットの対立候補陣営が乗り込んできた。

 通勤通学客の皆さんにはお気の毒と云うしかない。かなり通りにくかったと思うが、ご勘弁下さい。


 緑陣営は緑旗を立てて挨拶のみ。やはりビラは無いのか。緑陣営の候補者が現れたのは6:30。新聞報道などではお目にかかっていたが、ご本人を直接見るのは初めてである。現れたとたんこちらの方を見て、「見たこと無いのが多いな・・・ ホントに 安土の人らか?」と、こちらに聞こえる大きさの声で一言。次には一番端でビラを配っている私に近づいてきて、いきなり「あんた安土の出身か?」。

 候補者名が書かれたタスキしているが、貴方、私とは初対面でしょうが。それが、人に礼儀を教えていた立場だった人のやることかい?



 さて、それ以上に気になったのが「安土の出身か?」という訊き方である。安土の住人ではあるけれど、安土出身でない人は少なくない。新興住宅街のかなりの方々は他市町村からの転入者だろう。旧来の集落であっても、「お嫁さん」や「お婿さん」には町外から来られた方も多かろう。彼は単に「あんた安土の人か?」と訊きたかったのだろうが、自分自身が(無意識下で)安土出身か否かで線をひいている、ということに気が付いていないのだろう。

 さて、こちらこそが「オール安土」である。私は江戸から近代を通じて安土城周辺の変わらぬ風景を守り、地域の人々が暖かく小中学校を見守る気高い教育環境を維持してきた安土町の住民であり、安土を守ろうと立ち上がった人達と行動を共にできることを誇りに思っている。近江八幡からの応援などには頼っていないのだ。こういう場所と場面でなかったら一暴れしていた所である。

 前町長も私のことを「○○君」と呼んでくれるのだが、こちらは貴方に気安く「君」付けで呼ばれる筋合いは無いのだ。


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2009年10月2日 金曜日 小雨→大雨


 この日は雨でもビラ配り。傘を持っている人が殆どなので、ビラを手渡すタイミングが難しい。それでも受け取って下さる方が少なくないのは嬉しい所である。対立候補陣営も、かわらず駅立ち。やはりビラ配布はしていない。徹底して名前連呼と挨拶作戦の様子。


夜の部

 上豊浦での個人演説会に顔を出してみる。19:40頃、ちょうど上豊浦集会所に入ろうとしたときに木野陣営の宣伝カーが横を通った。元々、上豊浦集会所で個人演説会をすることを知っていたのか、はたまた水色Tシャツの私が入るのを見つけたからか、その後20分間ほどの間、つまり拡声器が使える20時に至るまでの間、しつこく集会所の周りを行ったり来たりしながら、聞こえよがしに候補者の名前を連呼していた。



 新聞では「大林陣営には勢いがない」という論調の報道がなされているようだ。明日は、その評価をはね除けるような活動をしたい、ということで、作戦会議は深夜に及んだ。


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2009年10月3日 土曜日 雨の予報だったが天気はしだいに回復

 朝刊にようやく(待っていたわけではないが)対立候補陣営のビラが入った。 民主党のマークと 奥村衆議院議員の名前入り。今江政彦県議会議員、山田実県議会議員に続き、安土町議会の合併推進派6議員の名前が書かれており、裏面(の一番下に、発行者との表記はないが、)6人の議員さんが連名している。おいおい、あなた方、一ヶ月前の衆議院選挙では、自民党の武藤候補の選挙事務所に詰めていたのでは無かったのか?

 

木野陣営発行のチラシ 後援会名の表記無し

「安土町民を信じて、正々堂々と、法律で認められた範囲で活動を行う。町民の対立を深めるようなビラは発行しない」とのことである。

 選挙期間中に発行出来る「法律で認められたビラ」には2種類ある。ひとつは候補者自身が出すチラシで、枚数が指定されており(今回は5000枚)、一枚一枚証紙を貼らねばならない。それとは別に、事前に届けられた候補者の支援団体も(候補者の名前を直接書くことは出来ないが)発行出来る。木野候補の支援団体である「きの和也後援会」が届け出していることは把握しているが、その名称はどこにも書かれていない。先のビラには民主党のマークがはっきりと印刷されている。はて?民主党は候補者の支援団体だったのか? 少なくとも町議会議員に民主党所属の議員さんは居ないはずである。 実は私自身、民主党とは多少縁がある。企業の組合員であった頃、その労働組合は民主党構成団体の一つであり、選挙で動員が掛かった際には私も駆り出されたひとりなのだ。民主党さんには、しっかりと説明していただきたいところである。


 滋賀報知新聞では、(9月30日に触れた)怪文書が報道された。この文書は、戸別配布とは別に、後日に郵送されていることも判明している。中には、相手候補への支持を訴える手紙と一緒に、怪文書が同封されたケースもある。ここまで来ると怪文書の域を通り過ぎて、組織的に配布されているといって間違いなかろう。


 全体の作戦ミーティング。西川議員から「マスコミが当方に勢いがないと報じている。よって今日はその論評をはね返す活動をしたい。色々と厳しい注文を出すが、大林さんを当選させるために必要なことだ。協力して欲しい。」と檄が飛び、井上議員から具体的な作戦行動の指示が出された。

この日は、5正面作戦である。


・主力部隊は、大林候補を先頭に集落の中を、
 街宣カーから下りて、声をかけながら政策を訴える。


・「みんなの会」宣伝カーは、遊撃隊的に
 「大林宏を先頭に合併反対活動を続けてきた『みんなの会』への支援」
 を訴える。

これらに加えて「桃太郎部隊」と名付けられた歩兵隊が2組結成された。


・桃太郎部隊 その1 青旗を掲げ、町中を肉声で大林候補への支持を訴える。


・桃太郎部隊 その2
   メンバーは支持者の中から地声の大きい順に指名された
   「拡声器要らず」さん方である。この方々は話し出したら止まらない。


・事務所では6台の電話に約10名の電話部隊が張り付いている。

 みんな出て行ってしまってはマズイということで、私が電話番に事務所に居残りである。しかしじっと座って居させては貰えなかった。いきなり緊急電話。またまたポスターが破られているのが発見された。場所は芦刈会館前。


 街宣カーに乗り込んでいる白木副代表を呼び寄せ、警察と選管事務局の総務課長立ち会いで現場検証と証拠採取に付き合った。そうこうしている間に、時間は過ぎる。



現場検証 白木副代表が指さす先に、破られた部分が落ちている。

 

左:証拠採取  右:被害届提出の打ち合わせ

 昼過ぎからは一時間ほど全隊合流して老蘇地区を歩く。奥石神社に集合して中山道を東から西に向かう。辻々で止まって街頭演説。アナウンサーは得てして候補者名の連呼に陥りがちであるが、「政策を入れなきゃダメだ。名前だけだと向こう(木野陣営)と一緒になってしまう」と西川議員の厳しい指示が飛ぶ。



地元の東老蘇で街頭演説



わざわざ外まで出てきて聞いて下さった方々と

 

固い握手。



中山道を西に進む



住宅街でも辻々で街頭演説。

 記録係の私は、本来は事務所の留守番役。事務所を長時間空けておくわけにはいかないので、中座して車に戻る途中、チラシの束が入った紙袋を手にして西老蘇地区を歩く人を見かけた。各戸の郵便受けに入れて歩いている様子だったが水色Tシャツ姿の私を認めると姿を消した。上出地区でも、同様にチラシを配っている人を見かけた。こちらの彼も水色Tシャツ姿の私をジロリ。怪文書か、はたまた今夕の「1000人集会」の動員か?


遅めの昼食 件 作戦会議の後、午後は、まず午前と同様に5正面作戦を継続。



衣笠台で支持を訴える街宣部隊。

15時過ぎ、選挙管理委員会事務局の総務課長氏から電話。

 第1点目は「みんなの会」街宣カーを使って、「候補者名を連呼」している、との指摘である。こちらの街宣カーは何をしているのかというと、先に書いたとおり「大林代表を先頭に、合併反対運動を展開してきた「みんなの会」」の宣伝をしているのである。候補者の宣伝が出来るのは候補者自身が乗り込んだ車両のみであるが、支援団体の宣伝は公職選挙法上OKなのである。国政選挙でも、候補者カー以外に政党の宣伝カーが走り回るのと同じ理屈である。枕詞に候補者名が入っているが、一度だけなので「連呼」には当たらない。これは屁理屈でも何でもなく、法律運用上、しっかり引かれた線であって、警察にも確認を取ってある。そもそも流しているのは、予め準備した録音テープなので、現場のアナウンサーがアドリブを入れたりしているわけでもないのだ。総務課長氏にとって運が悪かったのは、電話を取ったのが「みんなの会」屈指の論客氏であったことだ。「どの部分が『連呼』に当たるのか、具体的に示してください」との要求に明確な返答は返ってこなかった。

第2点目は、おそろいの水色Tシャツである。
 「Tシャツ着て投票に行ったりしないでしょうねえ?」とのあいまいな指摘である。
 「何が不都合なのでしょう?」。
 「選挙活動でユニフォーム的に使っているでしょう?」
このTシャツは実費+カンパで支持者の方々に購入して頂いたものだ。不特定多数に配布した物ではない。そもそも今回の選挙活動に合わせて作ったわけではなくリコール投票運動に合わせて作った物なのである(間に合わなかったのは事実だが)。
 「個人が私物の服を着て投票に行くのに問題がありますか?
  問題あるなら公職選挙法のどの条文に抵触するのか、根拠を示して下さい」。
 「根拠が要りますか?」
 「あたりまえでしょう。」
 「調べて連絡します。」

結局、連絡は来なかった。



投票所でもある公共施設:石寺楽座会館のフェンスに木野陣営の緑の旗。
難癖のような電話しているほど暇なら、こういうの取り締まってください。


 16時頃、対立陣営の事務所前を通ると、100名ほどが隊列を組んで並んでいる。駅に向かって行列し、そのまま駅南の相撲櫓を目指す様子。たまたま前を走っていた軽トラックには緑ジャケットの二人が座り、荷台には緑の幟旗が積まれていた。相撲櫓広場に運ぶのだろう。相撲櫓広場では「1000人集会」が計画されているらしい。


 こちらは16時半から、安土で最も人が集まりそうな大手スーパー前で街頭演説会。実は相手候補の事務所から数十mしか離れていないのであるが、そちらを意図しているわけではない。弁士は、まず住民代表の寺田女史、続いて大林候補、最後に西川議員の予定である。寺田女史にお願いしようと決まったのは前日の深夜。当日の朝に当人にお願い。ご当人は午前中はアナウンサーとして本隊の街宣カーに乗り込んでくれたので、原稿を考える時間は、昼過ぎから16時までの2時間程しかなかったはずだが素晴らしい内容だった。大林候補も、選挙戦最後の街頭演説で行政の大ベテランであることをアピール。最後は西川議員が「安土を守れるのは大林候補のみ、住民パワーで大林候補を町長に押し上げよう」と力強い応援メッセージで締めくくった。



夕刻の街頭演説会



街頭演説会の後、肉声で支持を訴えながら駅前までパレード。



駅南広場では木野陣営の1000人集会・・・・100人位かな?

 駅前広場からは、駅裏で開かれている「1000人集会」の様子が少し見える。緑の旗の数は多い。パレードはここで解散。

 暗くなってからも、最後の街宣に本隊と桃太郎部隊が出発。19時半に事務所に全員集合し、お互いの労をねぎらいながら、20時の街宣活動打ち切り時刻を迎えた。



19時半に街宣活動を終えて事務所に集合



各部隊がそれぞれ今日一日の活動報告



最後に大林候補から支持者、運動員に感謝の言葉



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2009年10月04日 日曜日 晴

投票日である。

 昨日に計画されていた幼稚園の運動会が、明け方の雨で今日に順延されている。天気も良く外出日和である。投票率が少し心配だ。

 昨日までにたっぷり睡眠不足と疲労が溜まっているので、少しだけ朝寝坊させて貰おうと思っていたが、いつもより早い6時に目が覚めてしまった。眠れない。アドレナリン過多状態である。パソコンでごそごそ作業していると、気が付けば9時。選挙事務所のお化粧用材料を抱えて自宅を出る。



平成・火天の城 : みんなの会事務所

 みんなの会事務所は、半ば空き地と化していた駐車場に置かれた3畳間ほどの大きさのコンテナである。置かれた長机2台の上は電話、テレビ、パソコン、プリンター、に文具類や資料類が満載。毎晩毎晩、この狭い空間に最大8人ほどが詰めかけて、打ち合わせを重ねてきた。昼間は時間が許す限り大林代表が詰めていてくれたので、三々五々、大林代表と話したい人が訪ねてくる。リコール投票日の直前には私も一日事務所に詰めたことがあったが、客人がとぎれることはない。電話も頻繁にかかってくる。チラシの原稿でも練ろうと自分のPCを持ち込んだが、結局、電源を入れる暇さえなく一日が終わった。「なっ、ここ(事務所)で仕事できへんのが解ったやろ?」と大林代表。元々は、リコール投票前の電話作戦の基地にしようということで、2回線引いてあるのだが、この環境で投票依頼の電話かけなど聖徳太子並みのマルチ処理能力を持ち合わせる人でなければ不可能だ。

と、いうことで、

 今回の町長選を迎えるにあたって、「みんなの会」事務所を「選挙事務所」にグレードアップする計画が持ち上がった。コンテナハウスに隣接する大きな作業場跡を、なんとか使えるようにしてしまおうという壮大な計画である。

 作業場跡の骨組みは重量鉄骨で組まれた頑丈な作りである。しかし、屋根はあるが、壁は無いに等しく、柱は鉄骨むき出し、床はコンクリートのベタ打ちである。資金は乏しいので改造は、大工さんと大林代表との手作りである。木枠を鉄骨に填め込み、算木を渡して、ビニルハウス用の透明フィルムを貼り、一応の「壁?・・・・というか 大窓というか・・・・」が完成。壁際に、ほぼ2mおきに立っている鉄骨を利用してコンパネ・パーティションで仕切り、6つのブースを確保。長机を置けば6台に増やした電話用デスクのできあがりである。ガレージ中央には、これまたコンパネ型枠を並べ、保温用の不織布を敷き詰めて、約32畳間分の「座敷」が作られた。相当数の人数での会合も可能だし、食事や作業もできる。季節的にも、比較的過ごしやすい時期に重なったが、このスペースがあったからこそ、今日まで活動を続けることが出来たといっても過言ではない。
 実用一本槍であるから、化粧板などは一切貼ってない。しかし前日から既にテレビカメラの仕込みと、新聞各社の場所取りが始まっている。当選しようがしまいが、いやおうなく、この事務所内の様子が全国に公開されてしまうのだ。

 # リコール成立の際も、この場所で記者会見と「バンザイ」が行われた。
 # 会見場所の背景は、道路からの目隠しに貼られただけの古びた杉板、
 # ステージはこれまた朽ちかけた運送用のパレットだった。
 # この時のバンザイシーンの画像は、薄暗くて、まるで洞穴で撮影された
 # ようだった。

 せめてバックを明るくしたいと、余っていた白布を貼り、その上から、これまでの活動に使ってきた手書きのポスターを貼った。これらのポスターは、すべて手作りの、この会の象徴みたいなものである。


 「祝 大林町長 誕生」 と書かれた横断幕は、拡大コピーと糊と鋏を駆使して作り上げられた。気が早いと思われるかもしれないが、落選したときの準備などする気になれないので、手を動かすのは当選した場合への準備だけである。
 「最初から貼っておくわけにはいかんよなあ。」
 「隠しておいて、その時に画鋲で貼ろう。
  脚立だけステージの近くに用意しておけばええやん。」
 当選を示すバラの花は¥100ショップで見つけた造花だ。ステージは朽ちたパレットから、ビールケースを土台にコンパネを敷き詰めた特設ステージに格上げされた。

 電話ブースでは、最後のコールが続いている。選挙当日は、いわゆる「選挙運動」というのは禁じられている。この日にできるのは「もう投票はお済みですか?」という御挨拶だけである。「○○候補者をよろしく」は×。

 昨日の桃太郎部隊は、町を歩きながら、思い思いに叫ぶことが出来たので、かなりのストレス発散にもなったようだ。しかし、今日は静かに投票箱が閉まる時刻を待ち続けなければならない。

 時刻は16時、時折、防災無線が告げる投票率の速報を除けば、選挙に係わる情報は「緑の鉢巻きしたヤツが各戸回って投票依頼しているらしい。」との伝聞情報のみ。時間つぶしの肴になっているのは、昨日、ようやく入った対立候補側の民主党マーク入りのチラシである。


 「『民主党』って安土町長選の確認団体だったっけ?」
 「安土に民主党の町議はおらんぞ、こいつらみんな自民党や。」
 「そもそも無所属候補の応援ビラに、なんで政党マークが入っとるねん?」

 「うちの孫がなあ、まだ小学生やけど、このビラ見て
  『これは安土を守るやない。八幡を守るや』って言い当てたで。」

 政策論議をこれまで避けておいて、最後の最後に「自分は町民を信じる」から、町民にも「自分を信じて(暗に)私に白紙委任せよ」というのか? 津村前町長がそういう姿勢であったから信用を無くしてしまったのだ、ということを推進派の方々はいまだに理解出来ていないようだ。

「ええか、当選が決まったら、すぐに近隣自治体の首長があいさつに来る。一言、ぶつけたくなる相手も来るだろう。しかし、絶対に失礼があってはいかん。大林さんの今後の仕事に差し支えるからだ。」
 西川議員が、皆に説いて回っている。最初に説教されたのは、昨日の桃太郎部隊の隊長氏と私だった。どうやら危険人物の一人と見なされているらしい。

 時刻は18時を回った。既に彼岸を過ぎた太陽は沈んでいる


 「なあ、花束、どーする?」
 「そりゃ、用意しておかな、あかんやろ。」
 「早よせんと、花屋さん閉まるぞ。」

慌てて花屋に走ったスタッフが、戻ってきた。

 「お店で『花束を・・・』と云いかけたら『予約された方ですね?』って訊かれた。」
 「やっぱ、向こうも用意しているんやろなあ。」


 事務所での夕食。毎日毎日、多人数の食事を用意してくださった女性部隊に感謝である。この夕食も、今日で終わりになる。

20時:投票箱が締め切られた。ぽつぽつと事務所に人が集まって来るが、なぜか角の方にかたまっている。


 賑やかな世間話も次第に途切れ、開票時刻が近づくに連れて皆次第に無口になっていく。

21:00 開票開始

 前町長の解職投票の際には、開票所に詰めかけて、開票作業を見守ったが、今回は事務所で知らせを待つことにした。結果が出たら、開票所に詰めた連絡役から事務所に速報が届く手筈になっている。


21時20分 滋賀報知新聞の速報サイトに最初の経過が発表された。

  大林ひろし 1300 対 きの和也 900

 読み上げると、喝采が沸いたが、ページ更新すると すぐに 2500対2500になり、そこで止まったまま動かない。こちらは公式発表ではなく、現場に詰めた記者が、おそらくは選挙長の前に置かれた投票用紙の束の数を双眼鏡で数えて報告しているものであろう。

21時40分 安土町選挙管理委員会の最初の公式発表は、 2100 対 2100

21時43分 開票所から速報メールが入った。本文に一言「かった」。しかし、そもそも最初に設定していた宛先に送信されていない上に、遅配メールや、最初のメールへの問い合わせの回答メールが混信して前後関係が解らなくなっている。

   「メール来た?」
   「いや、まだや」
   「なんで、こっちに入らへんのや?」

情報錯綜により、スタッフはパニック寸前である。

21時52分 開票所から藤井議員が帰ってきた。



「票数は確定してへんが、当選確実や。」

 歓声が沸き上がり、ここから事務所は興奮の坩堝と化した。

 白木副代表に、まずスピーチをしていただく予定。「白木さんを呼んでくれ!」の声は、絶え間なく光るフラッシュの中で踊り回る人たちの歓声にかきけされて届かない。ステージ背景には用意してあった横断幕が貼られ、個人演説会会場を示す看板は「安土町長 大林ひろし」に張り替えられ、バラの花が添えられた。座敷上は踊り回る人たちでもみくちゃである


21時58分 白木副代表の挨拶 「安土の名物は 住民だ。」名言


22時02分 安土町選挙管理委員会が確定票を公式発表した

  大林ひろし 3643  きの和也 2946

 この瞬間 大林ひろし代表は 大林ひろし町長になった。

22時04分 大歓声と拍手に迎えられて大林ひろし新町長登壇
続いてご来賓の
  東近江市の西澤市長様
  日野町の藤沢町長様
  竜王町の竹山町長様 にも御登壇いただき、
さらに、
  東近江市議会 の 小林議長様
  東近江行政組合の 井上事務局長様 を御紹介


22時06分 安土町の First Lady になった大林夫人、あまり表には出たがらない方だが、今日は特別だ。遠慮する大林夫人を支持者が壇上に押し上げ、



来賓の方々と一緒に「最初」の万歳三唱

22時07分 大林町長への花束贈呈、続いて、ご来賓の西沢市長様、藤澤町長様、竹山町長様からお祝いのメッセージを頂戴した。



ご来賓の方々と大林町長との硬い握手

22時10分 確定票数の発表



大林ひろし 3643票  きの和也 2946票

22時11分 進行役氏が森元氏から送られた「書」を披露



安土を守った 町民の勝利

 「この書を『安土町民の宝』にします。」と叫ぶ彼の声は半分涙声でうわずっていた。

 

22時12分 選挙運動を先頭に立って取り仕切ってくれた大ベテラン 西川議員の挨拶
22時13分 マスコミ各社 共同インタビュー

22時16分 嘉田知事来場が予告された。TVカメラからの注文で、座敷に座ってスピーチを聴き、華やかな拍手と笑顔に包まれていた会場は一転しブーイングの嵐になった。司会者が懸命に鎮めるが、そう簡単には収まらない。西川議員が想定していたとおりの事態になった。「合併撤回しろ!」立ち上がって怒りを露わにする支持者にスタッフがしがみついてなだめ続け、なんとか場を繕った。なだめ側に回ったスタッフだって気持ちは同じなのだ。

22時19分 嘉田知事 御登壇。



「当選 おめでとう御座います。安土のために頑張ってください。」

 知事からの祝辞は10秒。大林町長の答辞はざわめきにかき消され、聞き取れたのは最後の「・・・・よろしくお願いします。」だけだった。約20秒ほど。大林氏が「みんなの会代表」として、県庁まで何度も伺い、お願いしては断られてきた知事との初面談は30秒で終わった。

22時20分 足早に立ち去った嘉田知事に代わり、もう一度バンザイをしようと一人の男性が壇上に上がった。


 町職員出身で町長に当選した大林氏の快挙を、同じく目指したが果たせなかった故玉木英雄氏に報告したい、ということである。立会人として開票所に詰めていた井上議員も壇上に招かれ、水色Tシャツのスタッフと一緒に、天に向かっての「バンザイ三唱」。

 

左:選挙管理委員長から当選証書が手渡される。
右:「開票速報見て、飛んできた」杉原先生と硬い握手。

22時44分 「今晩はお酒はなし。お茶でも缶コーヒーでも、ドリンク剤でも何でもいいからとにかく飲み物をもってください。」



乾杯 お茶と缶コーヒーでの祝賀会は23:30頃まで続いた。



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2009年10月5日 月曜日 天候は曇 初登庁

朝 6時53分 テレビを付けると、
 

大林町長誕生のニュース
7時50分 少し早めだが、安土町役場に向かう



先日までは「敵陣」だった



平和都市宣言 大林町長が現役職員だったときに設置した物だ。

8時20分 初登庁時刻が近づく



選挙戦を共にした面々が集まってきた。



エントランスで待ちかまえる報道陣



水色幟旗の回廊

8時30分 新町長の初登庁を待つ人達でエントランスは埋まった。



大林町長を乗せた迎えの車が到着したのは8時32分



拍手の出迎え



恒例の職員の花束によるお出迎え

 女性職員が花束を手渡すシーンは、一回目があっさりしすぎていたので、報道陣からの注文でやり直しになった。少し照れる新町長にかけられた「アンコール」の声と拍手は、自然に手拍子と「オオバヤシ、オオバヤシ」コールに変わっていった。

「まさか、こんな形でここに帰ってくると思ってはおらなんだ。」


 大林宏氏が町長選に立候補する決意を固めたのは実は公式発表の10日ほど前だった。それまで役場職員として40年を過ごした昔の職場で、再び腕をふるうことになろうとは、ご本人も夢にも思わなかっただろう。今度は最高責任者としての着任である。向かう道は厳しい。9月29日、出発式の日に、青森県旧浪岡長の最後の町長であった古村さん(現青森県議会議員)からの激励ファックスには「町長選を勝ち抜いて、共にイバラの道を歩みましょう」とあった。それは一歩先を歩む浪岡からの魂のこもったメッセージだ。


 拍手に包まれて玄関の中に入った大林町長の姿は、町長を追いかけて役場庁舎に入る報道陣達に遮られて見えなくなった。


今日の初登庁は「終わり」ではなく、
平成の大合併を覆すための最初の一歩なのだ。

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