2009年 6月 9日
急 ぐ な 合 併・守 ろ う 安 土 み ん な の 会 通 信 No.28
議員のみなさんへ 町民の思いを聞いて下さい。
6月議会で議決をしないでください。
安土を愛する二人の方から寄稿
2005年に破たんした近江八幡市との合併騒動の時、私は合併協議会委員でした。新市の名称を決める小委員会の委員長として、近江八幡の委員も賛同してくれて「安土八幡市」という名を満場一致で決める役割を担いました。「合併大賛成」だった私ですが、今の進め方は許せない。
津村町長はリコールされ、町長選の獲得票を上回る4000筆以上の署名が提出されている。それが民意なのです。ルールにのっとってリコールの決着がつくまで、勝手に合併を進めるべきでないのは当然です。
前の話を持ち出して恐縮ですが、新市名まで決まった直後、町長は「もう一度、民意を聞く」と言い出し、町民アンケートを実施しました。結果「反対」が6割を超えて合併は流れた。今回、町民自ら民意を示しました。これは重い。いまの町長の対応を見ていると、不信感を拭えないのです。
いま思えば不勉強で、当時は合併しなければ財政的にも成り立たないと思っていました。将来は住民を交えた合併の検討があってもいい、と合併検討会議の副会長も務めました。でも、こんな決め方はよくない。いまは「みんなが協力し合えば単独でやっていける」と頑張っている人たちと思いは同じです。
「住民の意思を尊重してほしい」というビラに、呼びかけ人として名前を連ねました。このまま安土の長い歴史に汚点を残してはならないと。
元合併検討会議副会長・医師 杉原養一
管理人注)
杉原氏は安土町東老蘇在住。開業医であると同時に、万葉集にも詠まれた「老蘇の森」の中にある奥石神社の宮司でもあります。ご自宅には、県指定有形文化財「杉原氏庭園」、さらに、江戸時代末期に長州征伐に向かう第14代将軍徳川家茂が立ち寄って入ったと伝えられる「お風呂」も現存。正に安土町の時代の伝承者ともいえる方です。
ご本人も書いておられるように、前回の近江八幡市との合併騒動の際には、合併推進派の先頭をつとめておられました。今の「急ぐな合併・守ろう安土みんなの会」の大林宏代表が、当時、「貴方は名医だが、合併については藪医者だ」と噛みつき、大喧嘩になったというエピソードが伝えられております。
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町長並びに議会にもの申す
自分は安土に生まれ安土に育ちこの閑かな歴史の町を誇りに思い生きてきた83才の老いぼれ老人ですが、何れ近いうちに死んでいく自分は何としても安土の何の何兵で死んでいきたい。80年以上も安土で生きて今更近江八幡市の住民に成りたくはないと多くの安土生まれの年寄は思っているに違いない。
近江八幡市と合併して将来何の安全安心が保障されるのか、全く何の保障もないはずだ。
地方の時代という地方自治とは今までの様な中央集権で中央の顔色を見て政治をするのではなく小さくても小さいなりに甲斐性相応に自分たちで知恵を出しあってこの安土の町を守り立てていくのが本当の地方の時代と言うのではないか。何も合併するのが地方自治とは違うと思う。麻生総理の様にわしはあのときは反対やった等と国民を馬鹿にした様な町長や議会であってほしくない。
老婆心乍ら安土を愛する一町民として過ちのない決断を望む。
平成21年6月5日 安土町中屋187番地 中澤武平
管理人注)
中澤武平氏は、元安土町の収入役、後に町議会議員も務められた方です。中澤武平氏が現役の町職員や町議会議員を務めておられた頃の「安土」は、農業以外にこれといった産業も無い田舎の小さな町でした(今も大差ありませんが)。昭和の合併を乗り切り、今日に至る「安土」の歴史を背負い、「安土」の名を伝えてきたという誇りが、短い文章の行間から沸きだし溢れているように感じます。
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町内初の安土大好きパレードで訴えました